STORY
心を彩る看板屋として生きる
はじめに
代表の八木 彩羽です。
女の私が看板屋としての起業し、かれこれ25年弱の年月が経ちました。
何故 男業界といわれる職種を選び、何を目指しているのか。
これを読んで弊社の想いに共感して頂けるお客様との良きご縁が繋がりましたら幸いです。
両親の生き様

この写真は私の大好きな両親の写真です。
二人共すでに他界しましたが、両親の生き様が ずっと私に大きな影響を与えています。
看板職人だった父と 専業主婦をしながら父を支えてきた母。
二人とも 度がすぎる程のお人良しな夫婦で いつも損ばかりしていましたが、職人としても人としても尊敬できる両親でした。
父と母は、結婚してすぐ遺産相続のもつれで親族と縁を切られ、無一文で家を追い出され、
母の兄が昔使っていた小屋を借り、新しい生活を始めました。
これが当時の私の家です。
雨が降ると すぐ床下浸水になるんです。お金がない父は、小屋を自分でリフォームする事にしました。仕事をしながら、お風呂を作ったり、台所を作ったり。
また大変な事は重なるのか、私は心臓弁膜症という手術が必要な病気になりました。
治療費がかなりかかったと思います。
父は朝から深夜まで家族を守るために ずっと働き通しでした
父は、現場であまった壁紙を持ってきては、何度か壁の模様替えをし、
時には星空。時にはヨーロッパ調。ボーリング場になった事もありました。
外壁も余ったペンキを一部塗り、次は違う色で塗り、扉も青だったり、緑だったりと模様替え。
ボロ家だけど、まるでテーマパークのように彩ってくれました。
狭い部屋の中カラフルな壁に囲まれ、いつも明るい母の手料理を家族一緒に笑い合って食べる。
ボロ家だけど、心は豊かでした。
そんな家で育った私は、絵を描くことが大好きで、父の仕事場へ よく着いて行っては筆を持たせてもらいました。私専用の“何を描いても良い壁”を作ってもらい落書きをする。その時間が何より楽しかったです。
「いつか私もお父さんのような看板屋になりたい」
——その想いが、私の原点でした。



父と母は、結婚してすぐ遺産相続のもつれで親族と縁を切られ、無一文で家を追い出され、母の兄が昔使っていた小屋を借り、新しい生活を始めました。

これが当時の私の家です。
雨が降ると すぐ床下浸水になるんです。お金がない父は、小屋を自分でリフォームする事にしました。仕事をしながら、お風呂を作ったり、台所を作ったり。
また大変な事は重なるのか、私は心臓弁膜症という手術が必要な病気になりました。
治療費がかなりかかったと思います。
父は朝から深夜まで家族を守るために ずっと働き通しでした。
父は、現場であまった壁紙を持ってきては、何度か壁の模様替えをし、
時には星空。時にはヨーロッパ調。ボーリング場になった事もありました。
外壁も余ったペンキを一部塗り、次は違う色で塗り、扉も青だったり、緑だったりと模様替え。ボロ家だけど、まるでテーマパークのように彩ってくれました。
狭い部屋の中カラフルな壁に囲まれ、いつも明るい母の手料理を家族一緒に笑い合って食べる。
ボロ家だけど、心は豊かでした。
そんな家で育った私は、絵を描くことが大好きで、父の仕事場へ よく着いて行っては筆を持たせてもらいました。私専用の“何を描いても良い壁”を作ってもらい落書きをする。その時間が何より楽しかったです。
「いつか私もお父さんのような看板屋になりたい」
——その想いが、私の原点でした。


苦難の中で見つけた「楽しむ仕事」




大人になった私に 神様は父の様にがむしゃらに働く道を与えます。
出産直後に離婚を告げられ、私は子どもを抱えて働く事を余儀なくされます。
女性一人で子どもを育てるには、特別な技術が必要だと痛感し、働きながらデザイン学校に通い、念願の看板屋に就職。
しかし、現実は厳しく、深夜までの残業で娘の寝顔すら見られない日々。
「本当にやりたかった仕事だったのだろうか?」と悩む中、転機が訪れました。
遊園地のお化け屋敷のリニューアル工事を任されたのです。
——この時、私は父とプロの絵描師・宮崎さん(父の友人)に、この仕事の素晴らしさを改めて教えて貰うことになります。
初めて現場に訪れた宮崎さんは、お化け屋敷の建物から少し離れて全体を見まわし、ちょっとその場で考えたかと思ったら、私が何日も徹夜し苦労して作ったプランを一切無視して 赤や黄色・青色の稲妻をいきなり描いていきました。
「えっ??? そんな色プランにないし、勝手に変更しとる!!!」
困惑している私に「これでいいの。」とニコニコ笑いながら筆を走らせる宮崎さん。
(今の時代では考えられないです)
あっという間にタイムスリップしたかの様なお化け屋敷が完成しました。
驚きと戸惑いの中で完成したお化け屋敷は、私の想像を遥かに超える素晴らしさでした。
「自分の目を10m後ろに置いて、楽しい世界を想像しながら描くんだよ」
宮崎さんの言葉に、私はハッとしました。
『もっと広い視野で物事を見る』そして、何よりも『仕事は楽しむもの』
父も、自分で作った焼杉の看板を取り付けた後に嬉しそうに眺めていました。
父の嬉しそうな顔、職人さん達の笑顔が、何よりの証でした。
大人になった私に 神様は父の様にがむしゃらに働く道を与えます。
出産直後に離婚を告げられ、私は子どもを抱えて働く事を余儀なくされます。
女性一人で子どもを育てるには、特別な技術が必要だと痛感し、働きながらデザイン学校に通い、念願の看板屋に就職。
しかし、現実は厳しく、深夜までの残業で娘の寝顔すら見られない日々。
「本当にやりたかった仕事だったのだろうか?」と悩む中、転機が訪れました。
遊園地のお化け屋敷のリニューアル工事を任されたのです。
——この時、私は父とプロの絵描師・宮崎さん(父の友人)に、この仕事の素晴らしさを改めて教えて貰うことになります。
初めて現場に訪れた宮崎さんは、お化け屋敷の建物から少し離れて全体を見まわし、ちょっとその場で考えたかと思ったら、私が何日も徹夜し苦労して作ったプランを一切無視して 赤や黄色・青色の稲妻をいきなり描いていきました。
「えっ??? そんな色プランにないし、勝手に変更しとる!!!」
困惑している私に「これでいいの。」とニコニコ笑いながら筆を走らせる宮崎さん。
(今の時代では考えられないです)
あっという間にタイムスリップしたかの様なお化け屋敷が完成しました。



驚きと戸惑いの中で完成したお化け屋敷は、私の想像を遥かに超える素晴らしさでした。
「自分の目を10m後ろに置いて、楽しい世界を想像しながら描くんだよ」
宮崎さんの言葉に、私はハッとしました。
『もっと広い視野で物事を見る』そして、何よりも『仕事は楽しむもの』
父も、自分で作った焼杉の看板を取り付けた後に嬉しそうに眺めていました。
父の嬉しそうな顔、職人さん達の笑顔が、何よりの証でした。

起業して気づいた事「看板を変えるだけでは伝わらない」
「女性1人の給与ではとても子育てなんかできない。もう独立するしかない。」
と娘が小学校へ上がるのを機に、2002年に屋号「YAGISTUDIO」として独立しました。
両親からの猛烈な反対をうけ大喧嘩しながらも、意気込んで起業しましたが、お客様はいない。
飛び込み営業に心が折れそうになる日々。
元上司であり師匠のような存在の方に看板の知識を1から教えてもらい、師匠に支えらながら少しづつお仕事をいただける様になりました。
遊園地運営会社様からもお仕事を依頼して頂き、看板だけでなく、屋根の補修や遊具の塗装、バルーン制作、印刷物に至るまで、私って何屋??ってくらい毎日さまざまな仕事をさせて頂きました。
その色んな経験をさせて頂いたからこそ気がついた事
——「看板を変えるだけでは伝わらない」
立地や条件は必ずいいとも限らない。看板だけでなく、外観、内装、印刷物、SNS発信、サービス、全てが揃っていないと人に伝わらない。そう気づいた私は、世界観を統一して表現することの大切さを学びました。また他業種の職人さんと関わる事で、違った見方がこんなにあるんだと気づきました。
私にとって、かけがえのない経験です。


「女性1人の給与ではとても子育てなんかできない。もう独立するしかない。」と娘が小学校へ上がるのを機に、2002年に屋号「YAGISTUDIO」として独立しました。
両親からの猛烈な反対をうけ大喧嘩しながらも、意気込んで起業しましたが、お客様はいない。
飛び込み営業に心が折れそうになる日々。
元上司であり師匠のような存在の方に看板の知識を1から教えてもらい、師匠に支えらながら少しづつお仕事をいただける様になりました。

遊園地運営会社様からもお仕事を依頼して頂き、看板だけでなく、屋根の補修や遊具の塗装、バルーン制作、印刷物に至るまで、私って何屋??ってくらい毎日さまざまな仕事をさせて頂きました。
その色んな経験をさせて頂いたからこそ気がついた事
——「看板を変えるだけでは伝わらない」
立地や条件は必ずいいとも限らない。看板だけでなく、外観、内装、印刷物、SNS発信、サービス、全てが揃っていないと人に伝わらない。そう気づいた私は、世界観を統一して表現することの大切さを学びました。また他業種の職人さんと関わる事で、違った見方がこんなにあるんだと気づきました。
私にとって、かけがえのない経験です。

私の人生で神様からもらった
「一番最高の宝物」





そんな中、父が脳梗塞で急逝し、翌年には師匠も他界。
2人の大きな支えを失い、これからどうやって仕事したらいいの?と途方に暮れた私を救ってくれたのは、現在の右腕である古田 と 娘の香奈でした。
古田は、昔働いていた会社の同僚で、私が「この子とならうまくいく」と直感した人。
独立後、彼女は頻繁に仕事帰りに寄ってくれては看板制作を手伝ってくれていました。
もう彼女の助けがないと仕事が成立しない。
猛烈なヘッドハンティングの末、安定企業の正社員の立場を捨てて入社してくれました。
派遣業務をしていた彼女は 当然現場に出た事もなく脚立にすら登った事もなければ、穴掘りもした事がない。
何度も大喧嘩をしたり私の未熟さで泣かせてしまったこともありました。
それでも負けない根性のある古田は、私の右腕となり、一緒に飛び込み営業をしてくれたり、休日でも働いてくれて私をずっと支え続けてくれました。
そして、娘の香奈。
娘には、随分寂しい思いをさせてきましたが、ずっと「お母さんの事を助けなきゃ」と心ひそかに思いながら育った子だと思います。
幼い頃から、私が朝まで仕事をしている姿を見てきているので、料理や掃除・洗濯の手伝いだけでなく、看板制作の手伝いもしてくれていました。
学校帰りに工場によって宿題を済ませた後、狭い工場で夜遅くまで看板作りを手伝ってくれました。私の仕事が終わるのを待ちくたびれて椅子で眠っていた幼い日の姿が、今も目に焼き付いています。
そして、驚く事に娘も幼い頃、父の工場で落書きを楽しんでいました。
その姿は昔の私でした。
私と古田と小学生だった娘の三人で、工場の中で笑いながらご飯を食べて、その後なんだかんだと話しながらシート貼り。
あの時と同じだ。貧乏だけど、心は豊かだ。
娘は、分からないなりに私たちの仕事の悩みもずっと聞いてくれていて一緒に歩いてくれていました。
「看板だけ変えても建物も内装も全部変えないとお客様は来ない。どれだけ真面目に働いていても見た目で判断されてお客様が来てくれないなんて勿体ない。
ちゃんとそのお店の良さを伝えてガラッと変えないと人は気づいてくれない。
だからお母ちゃんは、いつか、店舗まるっと全部変えられる会社にしたい。
でも母ちゃんは、建物について知識がないからなぁ」
娘は、いつも話す私の言葉を聞いて役に立とうと思ったのか。
建築学科の大学に進学し、1級建築士となりました。
そして娘は設計会社に就職をした後、彩朝スタイルに入社してくれました。
2人は、神様が私に与えてくれた最高の宝物です。
そんな中、父が脳梗塞で急逝し、翌年には師匠も他界。2人の大きな支えを失い、これからどうやって仕事したらいいの?と途方に暮れた私を救ってくれたのは、現在の右腕である古田と娘の香奈でした。


古田は、昔働いていた会社の同僚で、私が「この子とならうまくいく」と直感した人。独立後、彼女は頻繁に仕事帰りに寄ってくれては看板制作を手伝ってくれていました。もう彼女の助けがないと仕事が成立しない。
猛烈なヘッドハンティングの末、安定企業の正社員の立場を捨てて入社してくれました。
派遣業務をしていた彼女は 当然現場に出た事もなく脚立にすら登った事もなければ、穴掘りもした事がない。
何度も大喧嘩をしたり私の未熟さで泣かせてしまったこともありました。
それでも負けない根性のある古田は、私の右腕となり、一緒に飛び込み営業をしてくれたり、休日でも働いてくれて私をずっと支え続けてくれました。
そして、娘の香奈。
娘には、随分寂しい思いをさせてきましたが、ずっと「お母さんの事を助けなきゃ」と心ひそかに思いながら育った子だと思います。
幼い頃から、私が朝まで仕事をしている姿を見てきているので、料理や掃除・洗濯の手伝いだけでなく、看板制作の手伝いもしてくれていました。
学校帰りに工場によって宿題を済ませた後、狭い工場で夜遅くまで看板作りを手伝ってくれました。私の仕事が終わるのを待ちくたびれて椅子で眠っていた幼い日の姿が、今も目に焼き付いています。
そして、驚く事に娘も幼い頃、父の工場で落書きを楽しんでいました。
その姿は昔の私でした。


私と古田と小学生だった娘の三人で、工場の中で笑いながらご飯を食べて、その後なんだかんだと話しながらシート貼り。
あの時と同じだ。貧乏だけど、心は豊かだ。
娘は、分からないなりに私たちの仕事の悩みもずっと聞いてくれていて一緒に歩いてくれていました。
「看板だけ変えても建物も内装も全部変えないとお客様は来ない。どれだけ真面目に働いていても見た目で判断されてお客様が来てくれないなんて勿体ない。
ちゃんとそのお店の良さを伝えてガラッと変えないと人は気づいてくれない。
だからお母ちゃんは、いつか、店舗まるっと全部変えられる会社にしたい。
でも母ちゃんは、建物について知識がないからなぁ」
娘は、いつも話す私の言葉を聞いて役に立とうと思ったのか。
建築学科の大学に進学し、1級建築士となりました。
そして娘は設計会社に就職をした後、彩朝スタイルに入社してくれました。
2人は、神様が私に与えてくれた最高の宝物です。

彩朝スタイルのこれから
昔から私の母のもとには、相談事や世間話をしに ひっきりなしに人が訪れていました。
『喫茶 やぎ』とも言われるほどです。
母は私にいつも「最後は人。人を大切にしなさい」と言っていました。
娘も母の元、近所の人にお茶出ししながら話を聞いていたそうです。
そんなふうに「気軽に人との交流ができる場所を作りたい」と設計の道を目指しました。
私たちは、空き家を活用した店舗付き住宅や、若者が集まる商業施設、高齢者のためのシェアハウスなど、地域に根ざした空間づくりにも挑戦していきます。
現在、彩朝スタイルは私を含めて4人。
古田は営業・現場・経理と多才に活躍し、宅建資格も取得したことで田舎で起業する人のお手伝いをしていきます。
娘は外装・内装のデザイン・企画、最近ではWebの企画構成とマルチに仕事をしています。総合的なデザインと企画でお客様のお役にたてるよう日々精進しています。
若きデザイナーの山口くんは、大学で勉強していたブランディングの知識を活かし、お客様はもちろんですが弊社にとっても心強い宣伝部長のような存在で、AIやMacを駆使して新しい風をおこし会社を盛り立ててくれています。女性だけの職場でやりにくい事もあるだろうと思いますが、ずっと私たちにやさしく気遣ってくれています。
縁あって集められた このチーム。
私たちのできる事・社会の役に立てる事を懸命に果たしていきたい。
町を彩っていきたいと思っています。




昔から私の母のもとには相談事や世間話をしに、ひっきりなしに人が訪れていました。『喫茶 やぎ』とも言われるほどです。
母は私にいつも「最後は人。人を大切にしなさい」と言っていました。
娘も母の元、近所の人にお茶出ししながら話を聞いていたそうです。

そんなふうに「気軽に人との交流ができる場所を作りたい」と設計の道を目指しました。
私たちは、空き家を活用した店舗付き住宅や、若者が集まる商業施設、高齢者のためのシェアハウスなど、地域に根ざした空間づくりにも挑戦していきます。


現在、彩朝スタイルは私を含めて4人。
古田は営業・現場・経理と多才に活躍し、宅建資格も取得したことで田舎で起業する人のお手伝いをしていきます。
娘は外装・内装のデザイン・企画、最近ではWebの企画構成とマルチに仕事をしています。総合的なデザインと企画でお客様のお役にたてるよう日々精進しています。
若きデザイナーの山口くんは、大学で勉強していたブランディングの知識を活かし、お客様はもちろんですが弊社にとっても心強い宣伝部長のような存在で、AIやMacを駆使して新しい風をおこし会社を盛り立ててくれています。女性だけの職場でやりにくい事もあるだろうと思いますが、ずっと私たちにやさしく気遣ってくれています。
縁あって集められた このチーム。私たちのできる事・社会の役に立てる事を懸命に果たしていきたい。町を彩っていきたいと思っています。

父から娘へ、心をつなぐバトン



昔、父の工場に行って弱音を吐いた事があります。
「お父さん。やっぱきついなぁ。これから仕事どうやってやってこう。」
父は「ガンバレ。ガンバレ。必死になってやってみろ。もっと必死になれ。」
と私を励ましてくれました。
父も、その時きっと必死だったのでしょう。
あの時の父の顔は一生忘れない。私の心の根っこにはいつも父がいる。
今でも心が折れそうになると父が「ガンバレ。ガンバレ。」と応援してくれる。
そして 父と一緒に見守ってくれている母がいる。
そして今、そのバトンを、娘へと渡すときが来ました。
彩朝スタイルは、父が心を豊かにしてくれたあのボロ家のように、「人の心を豊かにする」ことをテーマに、これからも社会に貢献していきます。
お客様・協力業者様をはじめ、今まで私たちと関わって下さった多くの方々。
皆様の支えがあったからこそ、ここまで来る事ができました。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
彩朝スタイルは、これからもチーム一丸となって前を向いて歩み続けます。
どうぞ宜しくお願い致します。
昔、父の工場に行って弱音を吐いた事があります。
「お父さん。やっぱきついなぁ。これから仕事どうやってやってこう。」
父は「ガンバレ。ガンバレ。必死になってやってみろ。もっと必死になれ。」
と私を励ましてくれました。
父も、その時きっと必死だったのでしょう。
あの時の父の顔は一生忘れない。私の心の根っこにはいつも父がいる。
今でも心が折れそうになると父が「ガンバレ。ガンバレ。」と応援してくれる。
そして 父と一緒に見守ってくれている母がいる。
そして今、そのバトンを、娘へと渡すときが来ました。
彩朝スタイルは、父が心を豊かにしてくれたあのボロ家のように、「人の心を豊かにする」ことをテーマに、これからも社会に貢献していきます。


お客様・協力業者様をはじめ、今まで私たちと関わって下さった多くの方々。
皆様の支えがあったからこそ、ここまで来る事ができました。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
彩朝スタイルは、これからもチーム一丸となって前を向いて歩み続けます。
どうぞ宜しくお願い致します。

