はじめに
代表の八木 彩羽です。
女の私が看板屋としての起業し、かれこれ20年弱の年月が経ちました。
何故 男業界といわれる職種を選び、何を目指しているのか。
これを読んで弊社の想いに共感して頂けるお客様との良きご縁が繋がりましたら幸いです。
父の背中
この写真は私の大好きな両親の写真です。
人として看板職人として、とても尊敬できる父でした。
父は八木家の長男として生まれました。
遺産相続で揉めて親兄弟と縁を切られ、一文無しになって家を追い出されてしまいます。
そして、お腹に私を宿した母と二人で1からの生活を始めます。
住む場所もお金もなかったので、母方の叔父が昔使っていた長屋を借りて自分でリフォームし、
お風呂を作ったり、台所を作ったりしながら父は家族を守るために必死になって働きました。
これが当時の私の家です。雨が降ると すぐ床下浸水になるんです。
大変な事は重なるのか、私は心臓弁膜症という手術が必要な病気になり、
治療の費用がかなりかかったと思います。
心臓病だった私を抱え、そして酒癖の悪かった弟の借金をも抱え家族を抱え
父は朝から深夜までずっと働き通しでした。
父は、あのボロ家をよくリノベーションして楽しい家に改造してくれました。
現場であまった壁紙を持ってきては、何回か壁の模様替えをしてくれました。
時には星空。時にはヨーロッパ調。時にはボーリング場風。と私たちの目を楽しませてくれました。
外壁も余ったペンキを一部塗り、次は違う色で塗り、扉も青だったり、緑だったりと模様替え。
父と二人で屋根に登ってペンキ塗りしたとき、透き通るような青空がきれいで、
高い所って気持ちいいんだなぁって思った。
ボロ家だけど、心は豊かでした。
私は、子供の頃からそんな父の背中をみてきて父のようになりたかった。
看板屋さんになりたかった。
私は父の背中をずっと追いかけてきたんです。
本当に父の事が大好きだったから…。
起業を決意
大人になった私に 神様は父の様にがむしゃらに働く道をお与え下さいました。
私は出産直後に、旦那様に離婚を告げられます。
そして子供が産まれて直ぐに働く事を余儀なくされました。
ただ、女性が社会で働くということは、技術がなければそんなにお給料を貰う事は出来ません。
子供を育てる事が難しい状況でした。
私は働きながらデザインの学校に行き子供が小学校にあがるのを機に、独立を決意しました。
独立したからといって、すぐにお仕事なんて貰える訳がありません。
親しい同業の方にお仕事を頂いて、現場の取付仕事も女だからと甘えず、
高い所でも、力仕事でも、深夜作業もいとわず行ってきました。
飛び込み営業して、門前払いをされながらも続けていくうちに
少しづつお客様にご依頼頂ける様になりました。
看板屋という業務は、製作から施工までを請け負う男性メインの業界です。
その業界で女の私が生き抜く為に必要な事は、デザインをすることでした。
看板だけでなく、どんなお仕事でも「出来ません」と言わず、常に考えデザインし、ご提案をする事。
そうする事でお仕事を頂き、製作から施工までを一貫して行ってまいりました。
企画デザイン・壁画(大きな壁にペンキで描きます!)
サイン・オブジェ製作、取付け施工(高所作業車にのって看板をつける事もしています)
フィルム貼り・印刷物製作・Web製作(弊社のホームページも自社制作です)等々、
私にとって今までの経験は、誰にも奪われる事の無い宝であり、私の人生に彩りを与えてくれました。
お役目
私は お仕事柄 多くの経営者の方と直接お話しをさせて頂く機会を沢山頂きました。看板を変える時は、企業様の節目でもあります。経営者様のお話を伺っていると、その背景や心の動きが不思議とわかってくるようになりました。
経営者様は その節目の際、色んな想定をして舵取りをどうしたらいいのかを考えます。 変化をしなくてはいけない時はとても不安です。 「この方向性であっているのか?」 「大丈夫だろうか?」と。
私は、経営者様とのお話の時間をとても大切にしています。 その際に、疑問に思った事を投げかけます。
答えは常にその人の中にあります。
経営者様ご自身が その答えに気がつかれた時、表情が変わり、エネルギーに満ち溢れ 目に力が入ってきます。
その瞬間、私は 人の背中を押す役目なのかな。と思う時があるのです。
時代は過渡期を迎え「頑張らなければならなかった時代」から「本当にやりたい仕事をする時代」へと移り変わっています。
その節目の時に私が立ち合わせて頂ける事に感謝しています。
そして、私が30年以上この仕事に携わらせて頂いた経験を 次世代に向け、社会の為に活かしたいとも考えています。
5Gの発達により、人とのコミュニケーションは どんどんオンライン化されていくでしょう。
リアルに人と人を繋げる空間を AI・IOTと融合させた次世代のリノベーションで新たなコミュニケーション空間を創る。 それが、これからの私の役目だと思っています。
私のテーマ
昔、父の工場に行って弱音を吐いた事があります。
「お父さん。やっぱきついなぁ。これから仕事どうやってやってこう。」
父は「ガンバレ。ガンバレ。必死になってやってみろ。もっと必死になれ。」
と私を励ましてくれた。あの時の父の顔は一生忘れない。
私の心の根っこにはいつも父がいる。
今でも心が折れそうになると父が「ガンバレ。ガンバレ。」と応援してくれる。
そして 父と一緒に見守ってくれている母がいる。
いつか私があの世に行ったら、
「お父さん。お母さん。私頑張ってきたよ。皆の役に立つように頑張ってきたよ」と
両親に胸を張って言える人でありたいと思う。
私が出来る事。
父が心を豊にしてくれたあのボロ家のように 見向きもされなかった建物をリノベーションして人々に豊かさを提供する事。
私は これから色んな仲間達と協力しあい 共に社会に夢を与えていきます。
デザインの力で人々の心を豊かにし「愛のある仕事」をテーマに社会に貢献していきます。
人は人と繋がる事で成長し幸せになります。
私は 幸せな人生に心から感謝しています。